PCより本日のメモり。

宿手配終了。行く気満々な割に最後まで宿を取らなかったのは、どこか何か引っかかるものがあったせいなのか。行くと決めてから1ヶ月近くあったのだから、パックツアーを取るなりもっと計画的にやればいいものを、今回ばかりは「ちょっとプラッと」行くのだ、というポーズを崩したくなかった…のかもしれない。プライドとお財布を天秤にかけて、今回は「無駄遣い」という答えを出してみました。ささやかだけどね。


PCを持っては移動しない。あれば少しは仕事が進む(かもしれない)ので、本当は持って行った方がいいような気もするけれど、ほとんど直接会場入りするのだし、そんなところで愛機に気を遣いながら飛んだり跳ねたりするのも色気がない(ていうか預けてらっしゃいよ)。よって、GIGが跳ねたら宿で鬼のようにテキスト打ち&サーフ…ということはできなくて、きっと手のひらに収まるネタ帳の上で、延々と気持ちを反芻しているのだと思う。
でも、そのくらいの方が適度にクールダウン出来ていいだろ、多分。


して、本日のメモり。


きっと氣志團には、團長にしか読むことの出来ない『氣志團法典』みたいなものが存在しているのだ。團長はおそらく、その『法典』に従って氣志團を操縦しているに違いない。法典は、氣志團のステージが上がるに連れて、新しい章が読めるようになるのかもしれないし、團長自体のポテンシャルによって新たな巻が手に入ったりするのかもしれない。つまり、エンディングはまだ誰にも(團長にさえも)分からないのだけれど、しかし確かに氣志團はそのシナリオの上に成り立っている。


また、「法典」にはカスタマー版も存在していて、我々(我だけか?)は、その『私家版・氣志團法典』と氣志團ちゃんを、首っ引きで見比べながら、ドキワクしているような気もするのだ。生きて動いて音を出す氣志團ちゃんが、ちゃんと「私家版(=自分の理想の氣志團ちゃん)」に則っていれば安心するし、そうでなくて不安になったり、法典の中の1ページが破れて読めなくなっててオロオロしたり、周りの人が新たな章を持っていないかトボトボうろうろ探してみたり。


けれど、明日私が目撃する氣志團ちゃんは、團長版・私家版を問わず、『氣志團法典』の奥義中の奥義を、直球ストレートで突いてくるだろう。徹頭徹尾、「誰の目にも理想的な氣志團」がそこにあり、私はきっと骨の髄までトロトロに煮込まれて大阪の海に流されてしまうに違いない。そして私はそんな目に遭わされたくて、明日東海道を下るのだ。頼むよ團長、耳の穴から手を突っ込んで、背筋をグシッとしごいて骨抜きにしてください。お願いします。わくわくしすぎて何を書いているのかもうわからない。


それでは、私がまだ「きしだん」をよく知らなくて、「ギターの美童グランマニエみたいな名前の人が酒で上から落ちたって? (中島)らものオッさんも、そんなフォロワーは欲しくなかっただろうに…」と思った話は、また明日以降。


行ってきます(まだ早いよー)。