風が吹くとき。 〜When the Winds of God Blows〜

昨日の続き、のようなもの。


そういえば、既にもう何かが呼んでいたのかもしれない。思い出すように偶然は仕組まれ済みだった、というか。


去年の秋、暇をもてあましてソラリアをぷらぷらしていたとき、西鉄ホールこけら落としがあの作品だったということを、壁に埋め込まれたパネルで知ったのだった。油断していたときだったので、視界の端で捉えたあの写真が何なのか、瞬間記憶と直結しなかった。別に、普段暮らしている分には(まして旅先の空の下では)思い出すようなことのない部分のことだから当然かもしれない。ああ!と膝を打ってからも、しばらくは自分のいる場所と写真との距離を測りかねて、お見合いしてしまったくらいだ。むろん、気づいたからといって「アニキー! ああああ会いたかったでー!」と叫んだりもしなかったのだけれど、パズルがピタリと当てはまったら、「あらまあこんなところで(また)お会いできるとは」というような、何だか最敬礼でもしたいような気持ちになったことは確かだ。そう、まるで現代の分隊長がアニキとキンタに送ったような、あの最敬礼を(言い過ぎ?)。


初めてあの作品を見たのは、ラストツアーの千秋楽いくつか手前だった。既に東京の公演ですらなく、横須賀まで出張しての観劇。基本的に芝居は守備範囲ではない、というより学生時代のマズい出会い方のおかげで、どちらかというと避けて通ってきていた方だったのだけれど、遠出してでも観てみよう、と思ったのは、単純に当時の連れ合いが会場まで運んでくれたから、と言ってもいいい。
けれど、長い長いストーリーが終わる頃には、確実に私はヤられていたし、ヤられている反面、この息苦しいほどの「熱さ」が自分の中で許容であることに戸惑いも感じていた。「これは、確かめるしかない」…てなわけで、あの時もターボがかかったんだった。残す公演で行けそうなのは、東京近郊では千葉だけだ。そして楽日を、千秋楽を押さえなければ。沖縄だけど。


そんなわけで、2001年の夏から秋以降しばらくは、私はその辺りを熱心に掘り下げていた。あの時も、何が自分の琴線をこんなにかき鳴らしてしまうのかが知りたかった。筋なのか、役者なのか、それとも舞台とか芝居とかいう仕組みのせいなのか。
結局、千秋楽も含めて合計3回の公演と、映画、過去の劇場中継、新装された文庫版の原作、オークションで手に入れたハードカバーの原作、英語版を含む最初の戯曲にあたった。そこから派生して芝居もいろいろ見に行った。突き動かされるままだった。思えば、この一連の熱中がリハビリーーひいては「今の」熱中へむけてのウォームアップーーの第一歩になったと言えなくもない。


あれだけ浮かされた「熱」は、いろいろな起伏を経て今はすっかり平熱に落ち着いている。けれど、機会があればやはり観たいと思う作品ではあるのだな。
再演はあり得ない、あっても10年単位で先のことだと思っていたから、今回のニュースには正直驚いた、という感じなのだけど、やるとなったらやはり観る。観るとなったら、また頭を空っぽにして、あの世界にどっぷり入り込んで鼻水垂らしたいもんな。ま、だからって、そっちの熱が上がることはもうないだろうと思うけど。そうよ、今は氣志團ちゃんにうつつを抜かすので精一杯なんだわさ。うーん。