集団観戦してみたい。

いよいよ大阪ですね。明日もうGIGがあるなんて(自分の参戦がまだだから)にわかに信じがたいのですが、24時間後になっても同じことを言ってそうな気がします。自覚あるのかオレ。とりあえず宿早く手配しろや。


しかし、大阪参戦にあたって、私は自分の中に珍しい欲求が湧いていることに気づき始めている。それは…それは、「集団観戦」への欲求である。


想像するに今の私の転びようだと、氣志團ちゃんのGIGは、KISSIESの友達知り合い顔見知り等々とダラダラ見に行けたら、それはもうどえりゃー面白いのではと思うのだ。歌や演奏はもとより、MC、アクション、アトラクション(?)の数々を、ステージのコチラからヒャーコラ言いながら見る。うわ、態度わる〜。でも面白そう。やってみたい(普段はMAXでも2人くらいでしかそういう処には行かない私です。たいていは1人)。どういう心境の変化じゃ。


それにしても「集団観戦」か…。それならば、こんな提案はどうだろう(以下妄想)。


「連番無制限制度の確立」


もー、予約するとき、イベンターに「氣志團、連番34枚で!」とか言えたりする。1ブロック全部知り合いとか。そんなんステージから見てたら嫌だろうなと思うけれど、いっそそれも見越して、氣志團の場合は制度として作る。もう、阿波踊りの「連」のように、ひとつの団体として氣志團つながりの人間たちが、主義とテーマを持って観戦するのである(まあ既に半分そんな気配もあるわな)。
ただ、安直に連番無制限にすると、とりあえず一気買いして売り抜くヤツとかいそうなので、連の構成員については事前に住所氏名提出で(そこまで個人情報じゃなくていいか)。もっとやるなら、当日顔写真チェックなんかしてもいい(手間だって)。それと、「連」で入場する場合、見た目の鑑賞態度は著しく低下する可能性があるので、一般のお客様の不愉快に当たらないように、「そんなに良い席は与えない」というハンデを付加してもいいかもしれない。大体ステージから見たってそんな内輪で嫌らしく盛り上がってる団体なんか目障りだしな。でももう花見のときにダメになってる集団みたいに「うぇ〜〜!」とか言いながら見る。当然ノンアルコール。それでも、遊び半分や騒乱目的などではない、「氣愛」の深い連だと、むしろものすごく態度が良くなって、踊るときは半狂乱、座るときは座席に正座、みたいな。で、ちょっと視線がくると全員が瞬殺。いいなぁ。「連」観戦の制度が出来たら、気分に合わせてその都度いろんな連に参加してみたいな。紫組連、黄組連…タニマチ集団か。あと、連同士での対立や抗争、和解と融和なんかがあっても物語性が増していいぞ。あ、でも「連」そのものについては、ある程度審査があった方がいいね。ある種の集団が常連化するとそういうのはよろしくない方向に向かうので、構成メンバーは毎回50%は要シャッフル。で、もう全国からトーナメントで勝ち上がって観戦に行きたい。…さて一体何で勝負すればいいんだろう。


そして、それをもう少し間違った方に進めていって、「ブロガー優先指定席」というのを作ってみるのはDoだろう? もうその一角全員サイト持ち。そこに座っているということは、全員終了後になにがしかの感想を世界に向けて発信することが約束されている。トラックバック上等で、GIGカンのクロスカウンターとかバンバカ決まっていくような。でも会場では「アイツ、どこのどいつだ…」の応酬。うわ、空気わる。その上理屈っぽい。しかし、終わったGIGがBlogの作用で一人歩きしていくというのは、つまりその、伝説を作り上げるための黄金の方程式の確立かとさえ思うのだけどダメか。ちょっとちょっと、「口コミ仕込み席」みたいに言っちゃダメよ! しかしコレは要するに…(後述)。


〜妄想継続中〜


うーん、お風呂に入っている間は相当盛り上がったんだが(もち脳内)、この後に書こうとした「1万人のブロガーGIG」というのは、整理しているうちに結局どこが面白いところなのかを見失ってしまった。


要するに、アレだ。私が今日言いたいのは「氣志團ちゃんはみんなで見に行きたくなる」ということだな。そうでない人も場合ももちろんあると思うけれど、この愛想笑いの人嫌いでさえ「ひとりよりふたり、ふたりよりたくさん!」と思うのだから、今だけはこの断定を許して欲しい。
そして、先ほどの「連」での見方をよくよく自己分析すると、もしかしたら氣志團ちゃんというのは、既に「そこに居さえすれば何でもいい」状態である。そりゃー生演奏を見に行くのが前提の冗談ですけど(え?)、例えば「連」が制度として確立された場合、團ちゃんたちもその存在を意識してしまう可能性が浮上する。それはイカン。不用意なMCによる集団への言及や煽りなどは、「連」の盛り上がりに対しては諸刃の剣だ。いつみんな「連」の意識を忘れて、1対1の自意識におぼれてしまうかわからないからだ。團ちゃんにはむしろ、こちら側の意図などお構いなしにそこで暴れていてもらいたい。それを、勝手にワーキャー言いながら観たいのだ……そうか、なるほど、また少し見えてきた。

つまり氣志團ちゃんは、ある種の「メディア」なのだ。彼らはもちろんロックバンドであり、木更津の妖精さんたちなのであるが、私にとっては「そこから刺激を受けて誰かと繋がりたくなるもの」でもあるような気がする。ここしばらくの中で突出して転んでいる理由が、そこにあったりしないだろうか。「誰かと共有したくなる氣志團、または氣志團体験」。うーん、これもメモっておこう。何的にかはわからんが。


…と、また得意の理屈っぽい話に突入してしまったのだけど、平たく言うのならば、さっきの「口コミ仕込み席」みたいなのを「楽しそう」と感じるのはつまり、「誰かと繋がりたくなる氣志團」ゆえなのだ。普段ここでウダウダ何か書いているようなことを、誰かとおしゃべりしながら(説教しながらみたいでイヤン)氣志團ちゃんが観られたら最高! ということだな。ぼえ〜。とりあえず、大阪は1人で観ます(笑)。