曲がった愛。(バレンタインに寄せる想像上の物語:2月16日補足)

 ※何かの拍子でこの文章をお読みになる方へ。※

 これは「バレンタインデーに氣志團のメンバーへチョコレートを送る」という話題に着想を得た想像上の物語です。バンドにせよ何にせよ、「好かれること」を生業とする人たちに対しては、こういう「斜めに真っ直ぐな愛」っていうのが、白日の下になるにせよならないにせよ、結構あるんだろうなー−−そういう期待も込めてまとめてみた架空のLOVE STORY。消しとこうかなとも思ったけれど、一応残してみます。行く末は気分次第で。なお、実在のバンド(氣志團)の名前を出しているためご心配の向きもあるかと思いますが、あくまでも「器として」お借りしていることを改めて追記いたします。(20050216)


バレンタインが近づいている。世の中が色めき立っている。目に見える見えないに関わらず、巷ではギャルのハートが飛び交っている。そして私は、いったいどんな風に團長を応援したいのだろう。


氣志團浸水心酔して早2ヵ月半。そろそろ、自分なりのスタンスを明らかにしなければならないのではと真剣に考えている。好きなら好きと言う、適当なら適当に好きと言う、言葉にならないほどならならないなりに、態度で示す。今やそういう「時」が来たのではないか……そんな自問が続いている。
そもそも「応援」という言葉自体が既におこがましいのではないか。所詮私は一介のリスナー、GIG以外では、團長の尊顔を直接拝むことすらできないのだ。当然、さし伸ばしたこの手が團長に触れることもなければ、張り上げた声が直接その耳に届くこともない。出来ることといえばただ、ここでこうして悶々と「のの字」を書き続けていくか、團長の落とした薔薇の雫を、大人しくCDショップで買い求めるくらいだ。それをして「応援(人の手助けをすること、または声をかけたり歌ったりして元気づけること:Yahoo!大辞泉より抜粋)」だなんてとんでもない。私は単に気前のいいお客を演じているだけだ。もっと他に方法はないのだろうか。團長への、このほとばしる思いを形にする方法は---。


「そうだ、親衛隊を作ろう」


大体團長はどうなのだ。大事なGIGのステージ上で「いいないいな、いいな〜。ヒカたんばっかりそんなにプレゼントもらってぇ〜〜」だなんて。私がここでこんなに「応援」しているというのに、ふがいない。「翔やん一番!」だなんて自ら音頭をとったり、あまつさえ客席に向かって唱和を煽るなど言語道断。團長にはもっとその、毅然としていて欲しいのだ。いや、團長に限って毅然としていないわけがないのだが……。そうだ。あの目、あの声、あの物腰。どれをとっても「完璧」とさえ言える。だからこそ、目に見える猪口冷糖の数やら婦女子シンパによる恋文の数などくらいで、揺らいで欲しくはないのだ……!!


今こそ、立ち上がれ。


恐らく同じような目で團長を見つめている人間は少なくないだろう。團長を團長たらしめるために、「何か」をしなければいけない、そう感じている人間は。


例えば直近ではバレンタイン。團長が「氣志團の誇り高き團長」としてメンバーにその威厳をまざまざと見せつけるためには、まずその甘菓子の数を何とかしなくてはいけないだろう。もちろん、目指すは「断トツ」のラインだ。
つまり、この時期、男子諸君がいたずらにその数の多寡でもって一喜一憂するというなら、いっそ團長には「ノー・バレンタイン、ノー・チョコレイト」の姿勢をたたき出していただきたい。その他五人が、やれ今年はいくつだっただの、やれどんなブランドのを貰ったのだの言っているところへ、颯爽と現れ「俺にバレンタインデーは、ない!」と硬派を見せての、仏恥義理の最下位。男気が溢れること間違いなしだ。
ただし、全国の團長シンパ婦女子、もしくは「氣志團」への愛を表現したい婦女子たちは、それでも贈り物をしたいと思うだろう。あるいは團長自身、その婦女子らの心に撃たれ、心のこもった甘菓子を受け取りたいと思うや知れぬ。そう、そのときこそ「親衛隊」の出番なのだ。全国からトラックで輸送される團長宛ての贈り物。それを水際で阻止すること、團長のニヒリズムを守ること。これが至上の命題だ。
届いた團長名義の猪口冷凍は全て「早乙女光様」「白鳥松竹梅様」の宛名に書き換えよ。当日においては、バレンタインを示す全ての広告やポップアップ、ポスターの類を、全て團長の目に触れないよう視界から消し去ってゆけ。もちろん、團長には決して気取られないように。完璧な仕事が要求されればされるほど、親衛隊の面目躍如といえるだろう。


GIGにおいても、親衛隊には大いなる働きがある。團長がダラダラとお話になるときには、心して全員直立不動で聞く。面白いギャグに置いては、爆笑でははしたなくもみっともないので、若干口角を上げるに留める。團長の一挙手一投足から目を離さない。名前を絶叫したりなどしない。拝むようにただ見つめる。親衛隊とは厳しい組織なのだ。團長への尊敬と愛を確固たる態度で示す、そういう連なりなのだから。


しかしまた、親衛隊は隠密組織でなくてはいけない、とも思う。なぜなら、團長自身が、自らを別格化するような動きを正面切って喜ぶとは思えないからだ。それならば、我ら親衛隊は、千人隊が如く互いの顔も知らぬまま、心に「親衛」の二文字を刻んで團長を万難から守れば良い。大丈夫、しかるべき時と場合がくれば、1人、また1人と、印を額に刻んだ親衛の志士は互いにその存在を知るに違いない。


ようしわかった。團長のために身を賭して働く親衛隊と、私はなろう。しかしながら、團長が團長としての尊厳を失いかけるときこそが出番となれば、今は控えているしかない。しかも、他の志士が誰かも知るよしがないうえでは、事前に作戦会議を開いていることもできないのだから。
それでは、「出番」が来るまで、私はここでこうして、「團長の不測の事態」を憂いながらシミュレーションを描いたり、まるで涙の雫のように銀に輝くCD、DVDのディスクをショップから購入していることにしよう。そうしてリスナーとしての態度を全うし、心の準備を怠りなく控えていれば、いつか團長の危機を救うチャンスも訪れるに違いない。


バレンタインが近づいている。世の中が色めき立っている。義理と本命とに関わらず、巷ではチョコレートが飛び交っている。そして私は、團長に危機が迫るまで、じっとここで控えていることとしよう。それこそが私に与えられた最大の仕事なのだ。間違いなかろう。