遠足前夜。

ここのところ稽古場が休みで身体を動かしていなかったのだけど、ぼちぼちペースが戻ってきた。もう自分のパートは振りがついてしまったので(!)、あとはひたすら練習するのみなのだけど、相変わらずハードル高いわ……もうね、このさき脚(というか骨格)の「形」とかどうにもならないんだもんなあ。いや、最後まで努力するけどね! 1センチでも、1ミリでも高く、外へ! ああ〜〜〜〜〜!!!!!! ……と思うけれど、その苦しみも楽しみのうちだったりするから侮れない。もう絶対超えられないとわかっていても、登るしかない山なんだよ……。


というわけで、いつもより熱を帯びて稽古して帰ってきたので、お風呂タイムの氣志團LOCKSは、アタマ数十秒がちょっと欠けてしまいました。しかし今日はツアーの総括するんでないの? と思ったので、とるものもとりあえずドボンで!


改めて、ああやってかいつまんでこのツアーの内容のことを聞くと、正直笑っちゃうよなぁ。「4時間にも及ぶロック・オペラ(の、オペラの部分から見始めたので、正直「いつ氣志團の歌始まるの?!って思った、というフリ)」だとか、「学園の平和を乱す侵略者S4に次々と闘いを挑んでは倒れていくメンバー」とか「氣志團學園ロボのパンチとうんちをしても倒せないS4」とか、やっぱりそれは、いわゆるロック・ミュージシャンのコンサートを意味するところの「GIG」とは違うわけなのだよね(笑)


「構成が緻密」と先日書いたけれども、例えるならやはりあれは芝居の公演に似ていると思った。きちんと構成があって、脚本がある。演出があって、段取りがある(音楽のみの場合にだってもちろんあるけど)。だから、アドリブだとか遊びだとかは、(全体が遊びのように見えているにしても)差し挟める余地が殆どない。「基本的に1回見ればいい」と書いたのはまさにこのことで、要するに氣志團ちゃんの今回のツアー(そして多分前回の最終章のアリーナツアーも)は、確固としたシナリオの元に展開されるため、ここで見ようとどこで見ようと、格差の生まれようが基本的にないのだ。それが、多摩・神奈川と終えたあと、特段に遠征を考えなかった理由、でもある。


しこれが通常の、ごく普通の音楽バンドだと、同じツアーのなかでももうちょっとセットリストにバッファがあったり(アンコールが土地ごとに違ったり)だとか、MCだって、もうちょっと自由に差し挟めたりだとかがあるのだろうし、それこそが目当てで見に行ったりもするのだけれど、とにかく、こと今回の氣志團ちゃん(というか團長?)の場合は、「決め(られ)たこと」を消化する必要性の方が高くて、代わりにその「土地」や「時間」への生っぽいアプローチが少なかったような気がしたんだな。終わってみれば、このギャップが存在する、ということが自分の中では驚きだった。でも、これまでが特殊なものばっかりだったのか。ドームとか、城ホールとか、とか、とか。


ちなみに、「生っぽさ」を舞台がブラッシュアップされていく過程で感じる、なんていうのは、楽しみ方としては邪道だろう、と私は思う。だから、多摩と神奈川のわずかな間の進化は、凄いと思ったけれども、もしそういう形(緻密なシナリオ)を取るなら、最初から楽日くらいのところまで練り上げていくべし、だったりもするんだけど、そうすると今度は51公演という数が半端じゃないからね。「するな!」ったって、あちこち手直しは入るもの。そうすると……


むむ、なんだか迷路に入ってきた。でも、そこをコネコネするのがまた面白いわけなのだけど。


まあ、ヘリクツはどうあれ、沖縄ではストレートなGIGを聞きたいな。聴きたい曲たくさんあるもんね。だけど、そこをコテコテに攻めてきたって楽しいことは楽しいだろう。どっちみち、私はステージのこちら側にいるわけだし。明日の夜は、もう沖縄だー!