アンサーソングを歌おう C/W「マリコな気持ち」。

前回の初上陸では芝居の楽日を追いかけて突入してしまったという沖縄に、今回またもや「氣志團學園」の卒業式、という名目で突撃してきてしまいました。前回は仲の良いオッちゃんと一緒に踏みしめた土地だけれども、今回は1人。考えてみれば、あのオッちゃんとならきっと、氣志團ちゃんでもたいそう盛り上がれたことでしょう。しかしそれも今は昔の話。オッちゃん元気か。生きていてももう会わないと思うけれども。


それにしても、全国52校で開校された「氣志團学學園」。その最終の最終は、本当に面白い「セクシャルバイオレンス・ラブコメディ」でした。ええ、文字通り「番外編」でしたとも! いろいろ考えたけれども、行ってきて良かった。というか1本取られたよ。参った、もうこれはしょうがないね。完全に負けました。わはは。


実は出発前は、自分の段取りの悪さから、上手く相方(とまではいかなくとも、せめてチケットの行き先)を探せなかったりなどなど、テンション的にはあまり高まることがなく、かつここまでのツアーのことなど振り返ったりしていたら、お得意の「難しいことを考えるモード」に突入してしまい、根の暗いことこの上なかったのだけれど、宜野湾に移動して、どピーカンな空と真っ青な海、そしてホテルの部屋にいても耳を澄ませば聞こえてくるメンバーのゲネの音などに身を任せていたら、どんどんどんどん楽しくなってきて、始まる頃にはすっかり上機嫌になっていた私。それでも、でもでも、いろいろと考えないことはなかった。
だって、野外で、沖縄で、最終日で。このGIGは本当に「氣志團學園」になり得るんだろうか? 學園ロボだってきっと来ないだろう、うんちだって降ってこないだろう(※横アリで登場した新兵器「Falling Shit」のこと)、もしかしたらダンサーの面々だって来ないかもしれない。どうする、どうなる?


開場して、自分の座席に着いてみると、その「どうする? どうなる?」は、ますます色濃いものに。だってまず、スクリーンがない。もちろん、校舎もない(ということはロボもない)。あるのはセンターの階段だけ。これで、これだけで、「あの」氣志團學園は再現されるんだろうか?


いや、もしかすると「再現されない」方がいいんじゃないかとも思っていた。リハでは、このツアーでは確実に演奏されていなかった曲の音合わせがあった。それを聞いたら、もしかして、私が最近見たくて見たくて焦れていた、「演奏だけで突っ走る爆音豪速GIG」がここで行われるんじゃないか? なんてことがしきりと頭をよぎる。でもな、あるんだよ。ステージの下手側に、ひときわ伸ばしたスタンドマイクが。あれ、あの場所はやっぱり……


「シーセンセーーーーーー!」


そうか、やっぱりGTOCから始まるんだな。それならそれでいいか。実を言うとこの前説がどうにもこうにも……と思ってたなんて言わないよ。でも、この限られたステージでどうやって氣志團學園が始まるんだろう? あ、あのシモンズで始まるイントロとナレーションだ!


「これは、ある學園の〜〜〜〜ドラマである」


ドラマ。そうか、このステージは終始一貫「ドラマ」だったんだ。期せずして至極納得。
そして……結論、終わってみれば「なんだ、これで十分OKじゃん!」、スクリーンなくたっていいじゃん(!)、ソロコーナー無くたっていいじゃん(!!)、別にヒール居なくたっていいんじゃん(!!!)……でも、それもこれもどれもなにも、やっぱり「あの」氣志團學園があったからこそ100倍面白かった、のかなあ……? 
あ、ちなみに「ロボ」や「うんち」は無かったけれど、ダンス部の面々はフル出場でした。


いやーでも。冗談抜きでしてやられました。ああそう、そういうストーリー温めてたの! チックショウ!!! そんな感じ。
当夜の主役は、どうやら多摩校以来學園を無断欠席していた(かどうかは分からない)2年の微熱DANJIの先輩でした。「K」っつーからてっきり「K円寺」だと思ったのにね。あんな封筒に入っていてさえも、その中から赤い紙出てくると思ってたもんね。体育館の裏っていうからなおさらだと思ったもんね。そしたらアナタ、告白ですよ、ラヴですよ、学園モノの定番ですよ! しかも「K」は「Kンヂ」のケーだった(笑) おかげでその繋がりで、オキナワン・スター大集合の「生紅白」が見られました(※詳しいレポートは多分他の方をご覧になったほうがよろしいかと思われます……)。アスタリスク


まあ、まさかこのストーリーを横浜のあと1週間で考える訳はないので、ずっと並行して稽古(?)もあったのだろうけど、よくもまぁ……。ちゃんと、本編としての氣志團學園を踏襲しつつ、外伝になってるんだもんなあ。だから氣志團のお兄ちゃんとDANJIの学年(年齢)がどうも合わねぇ、なんてことは気にしないぞ。いやホントマジで、死人も生き返らせる氣志團ちゃん、「私という死人」も生き返ったよ、ブラボー!


セットリストとしては、多分私は初体験の『湾岸夜想曲〜ルシファーズ・ハンマー'94〜』が聴けたのが最大に嬉しかった。もう、格好いいっちゅうねん。ちょっとテンポ重かったけど。そしてもう1曲は『BOY'S BRAVO!』。これも染みた。正直に言うと、初めてアルバムで聴いたときには、自分の中ではあまり消化できない曲(今ならそれが氣志團ちゃんの「幅」だと言える)だったのだけど、ほんのり夜の海風に吹かれて聴くこの曲は何て素敵なんだろう。


ホントにね、実は音楽だけで全然嬉しいんだけどね。どうしても氣志團ちゃん(團長?)はサービスしてくれちゃうんだなぁ。オール星条旗タンクで『SHAKE』とかさ。や、つくづくこのステージを見て思ったのだけど、多分團長は、見ている私たちに、自分の自慢の仲間やスタッフを一生懸命紹介したいんだろうな。「オレの友達マジいけてっから! 面白いヤツだから! 一緒に遊ぼう! Z!」って。その気持ちは凄く嬉しいし、一緒に遊べば楽しいってことは、この沖縄でよくよく、よ〜くよく! わかったけれど、それでも心のどこかでは、例え全国52校分仲間の面白いところを紹介されても、「ごめんなさい!!」という、決して首を縦に振れない「マリコな気持ち」の自分がいるのも確か。みんな楽しくて嫌いじゃないけど、本命は別にいる(つまりおマエだ!)んだってばさ……なんてことを思ったとき、ひょっとしてあのマリコの2度にも渡る断固とした拒絶は、そんなオレらの気持ちもちゃーんと伝わってるからこその展開だったのかな、なんて思ったりした。だとしたら深いぜ!(でも結局暴力で拉致られちゃうけどね!)


『愛 羅 武 勇』の前のMCではしんみりしました。というのも、ひょっとして私がもっと以前から氣志團ちゃんを愛していたり、あるいは自分が late teenager or early twenties であったとしたら、多分ブッ飛ばしたくなっていたかもしれないから(ぬおーそういえばその頃ブッ飛ばしたくなっていた人もそういうMCでした<Mくんではない人だけれど)。しかし現実にはブッ飛ばすことなどできないので、スーッと下がった体温のままその場を立ち去るか、あるいは米粒文字で両面を埋め尽くした「おまえカルテ」を無記名連続投稿して、詮のない闘いを挑んだかもしれない(?)。今は、自分自身がその頃の気持ちとは随分違うところに来ている気がするので(の割には遠征してるけどなぁ)、そうアグレッシブな気持ちにはならない、けれども。


そうだな。例えるなら、アンサーソング。頂いたモノをお返しする歌を歌いたい気持ち。歌はココロ、といったシー先生、いやさトミー会長の言葉に乗っかって言うなら、私にとって歌はアンサーソングなのだ。世の中は何もかも、見えないラリーの応酬なので、打ち返した球はいつか跳ね返りを繰り返して、どこかの誰かの何かをノックするかもしれない。ならば、ここでこうして頂いたずっしりと重いものを、私も何かの形で誰かにお見舞いしていかなければならない。少なくとも、そういう気持ちにさせてくれるだけの何かが、あの海のそばにはあった。いやあ、ホントに「なーんか頑張っちゃおうかな」という気持ちを思い出させてくれちゃうんだよね、毎度毎度(または時々)。
そういう意味では、昔も今も自分は大して変わってないということか。かーってにいろいろ受け取って(電波?)、かーってにいろいろするわけだ。97年から数えて今年で10年? そりゃあつまり、自分がリタイアしてから10年ということにもなるんだなぁ。それはそれで、モノを思わないわけにはいかないって、本当に。


……と、ひとりまた DEAD END に入り込んだところで、オマケ話を一つ。宿泊したホテルでお隣の部屋になった方とバルコニー越しにお話したら、そちらの方は何と羽田で氣志團ちゃんに遭遇したそうですよ。ムハーッ! 私とは航空会社も便も何もかぶりませんでした(何か期待してたのか)。その代わり、と言っては何ですが、さきほど帰ってくるときは、労働1号マネージャーを現地空港で発見。ムムッと周囲をサーチすると、どうやら私、紫SHIKIBUの皆さんと同じ飛行機で帰ってきていたみたいです。初代GTOCこと反町先生も、たぶん一緒でした(動く歩道ですれ違ったからね!)。そうかーーー!(笑)


KISSES BRAVO!