あの時のこと、今のこと。

あの時。宮城くんがポトリコした理由について、知りたかったわけでは別になかった。そんなことは、例えどんなに考えたって解りようも知りようもないことだったし、当時の私にとっては(もちろん今のわたしにとっても)調べる術のひとつもあるはずがなかったから。ただ、そのことによって自分のなかに、なにか探るべき辿るべきテーマのようなものが生まれた。それは確かだ。そして、そのテーマのおかげで、わたしはたくさんの図々しさや気弱さを身につけることになったのじゃないかな。


……なぁぁんて、相も変わらず昔のことを大事に取り出して考えていたら、今日も午前零時すぎの電車は瞬くあいだにわたしをホームタウンまで連れ帰ってくれた。いつもなら手持ちぶさたで苦痛な時間も、自分の中にダイブできれば有意義にさえ思えるから不思議。まあここ数日本当に眠れていないので辛いことは辛いのだけど、窓ガラスに映る疲れたおのれの顔に戦慄しながら、宮城くんはどうしてあの時、花も盛りの椿のように、その赤い魂を地面に落としてしまったのかしらね、と繰り返しくりかえし問うていたら、なんとなく少し、今の自分が探しているものがわかった、ような気がした。妄想だけど。


もしかしたら彼は、自分がそんな気持ちになりたくなかったのかもしれない 
あるいは自分以外をそんな気持ちにさせたくなかったのかもしれない 
さもなくばそのどちらにも我慢ができなかったのかもしれない


もちろん、それはわからない。なぜならわたしは彼のことを知らないから。会ったことがないから。話したこともないから。ただ、想像していただけだったから。


いや別に想像する必要だってなかったのだけれど、浮かんでは消える思いつきを繋げて組み立ててしまうのは、決して知ることのない正解についてつい考えたくなってしまうのは、わたしが、花の落ちていく赤い放物線を見つめ続けている間に身につけてしまったしつこさゆえ、なのかもしれない。そしてそのしつこさは、案外今も変わっていないのじゃないかな。きっとね。