手ヲ振ル。

昨年の万博以来、すっかり心を亡くしていた私。それがここへ来て急にまた思い立っているのは、意外と自分、音楽に力を貰いやすいのだということ。あれっ、自明? 


思えば3年前の秋の終わりにも似たような感覚に襲われた瞬間があった。その時の爆発力(と持続力)たるや結構かつ相当なもので、それはそれで随分いろいろと助けてもらったわけだけれども、今はもう少し静かに沸々と来る感じ。あーでもわかる。仕方ない、バンザイ(お手上げ)。まあ、そんな感じ。


きっかけはいつも些細なことで、その度自分の単純さに驚くのだけれど、案外自分を構成しているものというのは変わらない(変わりようがない)のかもしれないな。もちろん、新しく積み重なることもたくさんあるのだけれど、それらを貫く鍵のかたちというのは、もう殆ど答えが出ているというか、だからこそ探し当てられるというか。まぁこれからも時々は、そういう「自分の鍵」を取り出して、扉のメンテナンスをした方がいいんだろうね。音楽というのは、(私の場合)そういうために存在しているのかもしれない


というようなことを、youtubeにて今昔岡村ちゃん映像をエンドレスに聴きながら考える今日この頃。ンゴッ。なんですと? こちらもツアーですと!?


……ひらめくのはいいけれど、勘が鈍って若干ちょっと出遅れているので、激戦予想せらるる一般発売にかけるしかない、ところがちょっと切ないのだけれども、やっぱトライするでしょ。どうなってようとこうなってようと、久々にあの流し目の洗礼受けてもいいんじゃない? あの甘い声で耳たぶの後ろ撫でられてもいいんじゃない? って、考えただけで今から心の汗が滂沱のごとく。いやそれにしても、格好いい男の子っていいよね。ていうか男の子って格好いいよね(ていうか「子」ってどうなんだろうね)。


ところで、ふと気が付いたら今の職場に移って2年が過ぎていた。先週は日帰りで京都出張が入ったりしていたおかげで飛ぶように過ぎてしまったのだけれど、なんだかんだ勤め果せているのは有り難いことだ。何故この仕事に行き着いたのだろう、と考えると、これまた何か見えざる「鍵」の存在を感じずにはいられない。それが不思議。だから、もっとこの、与えられた時間と機会を大事にしなければいけないのだよね。本当にそう。まさに「忘れてはいけないこと」だと思う。


それとともに、「手を振る」作業も思い出していこう。今は仕事を通じてメッセージを送る作業を続けているけれども、そうではなくて、ちゃんとした、「私信としての」手を振る作業。つまりそれが、私のできる感謝と贖罪に他ならないから


というようなことを、本当に岡村ちゃんの映像を見ながら考えてみたりしているのです。そろそろ無条件に泣いたりしてもいいんじゃないだろうか。最近涙が足りてない気がするしね。秋だし。おセンチに行こうじゃないの。