そうだったのかと稲妻が走る。

氣志團氣志團氣志團とうわ言のようにつぶやきながら見に行って、そのまま釘付けになってしまうサイトがうなぎ登りに増えています。ここ数日は、U子さんの「薔薇と涙(id:dan127u)」から飛んでいったoyamada lincoさんの「DATE」の12月12日の記述を見て、自分が東京ドームで何を感じていたのかをひたすらに反芻しています(そんな皆様を勝手に「族」という名のアンテナで括らせていただきました…というのは1人ひとりご挨拶に行くべきなのかどうなのか)。


そうか、そうだったのか。


私はドームのほんの3日前にライブに誘われ、その時点では「あああの学ラン・リーゼントの」「木更津キャッツ・アイの」(ちなみに「ギターの人が落っこちて怪我したんだってね?」も含む)以上でもなければ以下でもない感情しか抱いていなかったのに、予習用にと渡されたアルバム3枚を聴き終わる頃には、自分が團長の足下に激しく転んでいることを間違いなく確信した。そして、ともかく今ここで星グランマニエがいないという状況がどんなものなのかを、薄ぼんやりとだけ把握しながら水道橋へと向かったのだった。


4時間以上にも渡る初めてのGIG。それは、氣志團とこれまでのKISSIESにとっては、きっと多分いろいろなところで勝手が違ったり、お約束の何かが無かったりしていたんだろう。ただ私にとっての最大のLUCKは、「これが初めて」だったということ。そう、「星グランマニエのいる氣志團」と今日とを、比べなくて済むということだったのかもしれない。
そんな私は、oyamada氏が「カッコイイ」と述べたところの「國道127號線の白き稲妻」の演奏を、素直に、格別に美しいと思っていたのだ。


本編が終了してのアンコール(ルーアンコと言うべきなのかい團長!)、全員が赤い特攻服に身を包み、さらに團長がギターを引っさげて出てきた時、これは、本編とも他の余興とも全く違う何かなのだということを強く感じた。そして、それを「いいじゃないか、カッコイイじゃないか」と思い得たその理由は、とりもなおさず

みかん色のギタリストがいないことによってぐらぐら震え肩身を寄せあって泣き言をいう氣志團ではなくって、1/6の血を抜かれながらも両の足で立っている綾小路“セロニアス”翔と4人

が、真っ正面からの視線で、ステージからこちら側を射抜いたからではなかったのか。


氣志團がここでどうなってもどうあっても、この日この時の勇姿を見られた自分は相当に幸せだ。だから私は、「知ってはいたのに注目してこなかった自分」を悔いてもいないし、予め族だった友人を必要以上に羨まないで済んでいられるのだ。


今これからの氣志團をしっかりと見据える。それこそを、私が示し得る姿勢とする。
そういうことを、今は考えている。


…といいつつ、12/30に向けてスカパー!の無料視聴はしっかりと申し込んでおこうと思うわけだが。うふ、うふふふふふ(矛盾)。