リバーズ・エッジ(彼岸と此岸の間でぽっかり空いた暗い穴を見ているとき)

髪を洗っていて、ふとこれが何度目のシャンプーだったのか分からなくなることがある。一度流したような気もするし、実はもう二度洗いも済んでリンスを流しているところだったのかもしれない。しかし、分からなくなったときは考えたところで思い出すこともできないし、むしゃくしゃ気持ちが悪いので、また「一度目」のシャンプーから始めてしまうことも少なくない。それが終わる頃になって「ああ、もう二度洗いもしてリンスをすすいでいたんだった」と気がついても後の祭り。だから、そんな瞬間に出くわすたびに、「これからは何度シャンプーしたのか、ものすごく意識しておくようにしよう」と決心するのだが、次に入浴する頃にはまた恐ろしいまでの無我に取り憑かれていて、結局何度髪を流したのか分からなくなってしまう。歳でしょう、で片づけるのは簡単で、実際そうだよなと思うことも多々あるけれど、本当に真っ暗で底なしの穴を覗いているような無心の時もあれば、「別の何か」が心に引っかかって呆けてしまうことだってある。今日は後者だ。


中尊寺ゆつこが死んだ


というニュースは、帰宅して食事して、とるものもとりあえず開いたYahooのヘッドラインで気が付いた。「えええええええええ」と素っ頓狂な声が出る。驚くよな、やっぱ普通に。


ショック…というのとも少し違って、ただただ「驚いた」。そういえば最近はあまり見かけてなかったよね、とか、何だかスピリチュアルな方(注:アフリカ方面の話のこと)へ行ってなかったか、とか、どうせ無責任なことしか言えないのだから、思い入れのひとつもない人間は口をつぐむべきだと思うのだけれど、


自分だって誰だって、本当にいつ人生が終わるのかわからない


というようなことを、それからずっと考えていた。あとは、同じようにインパクトを受けている人の十人が九人まで考えそうなことを、私も。卑しいことですけれど。
命というものは、本当に人によってそれぞれ全うする時間が決められているものなのだなあ。それはもう、皮肉なほどに。


「ご冥福をお祈りします」という言葉は、ここで書くには薄っぺらすぎるので、機会があったときに自分の中で呟くことにしようと思います。