信じる心が足りなかった。

お疲れ様です。2月3日の夜になりました。仕事と稽古を終えて家に帰ると、そこには待ちに待ってた白い封筒! ……の姿はなく、ただ白いうちの猫だけがコタツの前に鎮座ましましていました。


……。


あーん、ハズレだったぁ〜!!!!!!(氣志團ちゃん新曲PV撮影エキストラです)


残念でした。惜しかった。確率的にとか倍率的にとかそういうことではなく、惜しかった。ただもう、自分のマインドが、惜しかった。


間違った方向とはいえ先にしっかりと負け惜しんでおいた(id:eugeene:20050201)くらいなので、想像に難くなかったこの結果には特段の不満もないのだが、ただひとつ言えるとしたら、やはり今回は「心」が足りなかったと思う。信じる心が、圧倒的に足りていなかった。一生懸命に信じるハート、自分は必ずその場にいる、というイメージを描ききる強いパッション。実に、これがなかったことが敗因だったと思う。悔やまれる部分があるとしたら、それだけだ。断じて正直に書いてしまった年齢のせいな◎×▲※☆◆。


ちょっと待った、それじゃ「心」があったら参加できたんかい、という意見もあるわな。そらそうだ。確かに、むやみに熱いばかりの「根拠のない自信」というものは、往々にして見苦しい。しかし、それにしたって私の中ではちょっと信じている部分があるのだ。世の中には、根拠なんかブッ飛ばす「必定の理」が確実に存在していて、それが事実を左右することだってある。思いが強ければ強いほど、欲求が強ければ強いほど、神様はちょっとだけ結果に加担してくれるということを。そうだよ、だからその通りなんだよ。つまり私は自分から可能性を否定していた。「仮想(の氣志團ちゃんを囲む)GIG」だなんて、「ホンモノは来ないんじゃないか」なんて……アホだった。もっと強く会いに行きたいと思えば良かった。自分がそこにいなければ撮影が成り立たないとさえ思えばよかった。「まあいっか」なんて、「とりあえず」なんて、そんな気持ちで手紙を出すんじゃなかった。氣志團ちゃん、いやさ團長…ゼメン。ココロが会いに行けなかったよ、オレ。


本当(の負け惜しみ)を言うと、新曲がどうなるのか、どんな音なのかが想像つかなすぎてもうバクバクなのである。團長のことを信じたい。團長に騙されたい。團長に一本取られたい。團長に泣かされたい。團長にしてやられたい。團長に、もう滅茶苦茶にされてしまいたい(!)。そして、そんなさんざんな目に遭わせてくれちゃった團長を、涙まみれ鼻水まみれで「恨みたい」。だけど、それが実際になるのはちょっと怖いのだ。あ〜あ〜、どんなんなってんのかなー。


私の中では、(ツアーで既にこのタイトルが使われていた、というのは後から知ったことなので)このフレイズが、よりによって「3月」という季節に甦ることだけで口から心臓が飛び出そうなのだ。うおーん、なんだか凄い取り乱しそうだよ。だからもう、周りに人がいっぱいいてわけのわからないうちに、ファースト・インパクトは済ませてしまいたかったよ。家に帰ってじっくり向き合って聴く、なんて耐えられんのかよぅー。


しかしまあ、そんなわけで土曜日は出かけないことになりました。それじゃ、伸びちゃった前髪でも切りに行くか。そしてなるべく、團ちゃんたちのことは考えないようにしような、オレ。うおーん。