「よくできたもの」に反応する。

なかなか以前のような節回しが出てこないのですが、とりあえずメモりから。


多分、自分の中に「よくできたもの」に対して強く反応する因子、というのがあるのだと思う。映画であろうと小説であろうと「世界観」がきちんと完成していて、騙しも徹底的に行われている、というものに「ピンとくる」というかな。たかがこれしきのメモで言い尽くすことはできないので、おいおい補足をしていくつもりなのですが、徹頭徹尾世界観が守られているものに直面して、かつその世界に完膚無きまでにしてやられる、というのは、自分としては結構贅沢なお楽しみなんじゃないかと思ったりしています。
実際問題、なかなかそういう「よくできた」ものには行き当たらない(当たったとしても永劫は続かない、テンションも対象も)のだけど、「騙そう(世界観を保とう)」としている間は、その心意気に共感するというかな。そういう意味で、今もの凄く楽しく毎日を送っているわけですが、それも刹那的であるからこそ「より一層」なのかもしれない。だから毎日一生懸命、それこそ苦行を強いるようにして「思い」を維持しているのかもしれない……なんていうことを考えてみました。