AS TEARS GO BY(夢見る頃を過ぎたから、こそ)、そんな夜。

いやいや、危ないところでした。うっかり2005年に帰って来られないかと思った……冗談抜きで、そんな夜でした。イベントの告知を発見して、最初はホント気軽な気持ち……「やるなら見たいよ、いや見るよ」ってな感じでチケットの予約をし、そしてプラップラとこの二日間出かけてきたワケですが、全てが終わっちゃった「いま」、本当に凄い幻を見てきたんだ、とちょっと呆然としています。


うーん、楽しかったなぁ。でもそれって凄いことだなぁ。だって、がっかりしなかったんだもんなぁ。フツーに「かっこええええ!」と思っちゃったんだもんなぁ(ロバート平野も、「第二期」ヒルビリーも)。もしも、もしも今でも現役でやっててくれたら、やっぱり見に行ってたんじゃないか? 無責任だけどそんな風にさえ思えたりして。
昨年も一昨年もイベントはあったということで、そこから見ている人にしてみれば、この「変わらなさ」はある種予想済みのことなのかもしれないけれど、私にとっては90年の5月5日、あの日比谷野音以来に見るヒルビリー・バップスで、ところがなんだかんだ言ってもギャップは無くて、というより何でこんなにギャップが無いまま今そこでステージが行われているんだろうってな感じで、いやいや、正直参りました。うっかりしたら本当にあの場所から出てこられなくなっていたかもしれない。でも、二日間における時間軸の組み合わせは完璧で、そのおかげで何とか正気が保たれたような気もします。大げさか。


結局、「物語」から入ってしまったバンドなのでは、という気持ちはずっとある。けれど、その「物語」も含め、確実にある時期のある自分を占めていたバンドなことは間違いなく、今にしてみれば一瞬のようなこの10数年を経て、「お、やっぱりそれなりに好きだったんじゃん?」なんて自分を認めなおしたりして。いや、正直言うと好きでした。というより今も好きなんじゃない? ていうか十分素敵なバンドだったんじゃない? 格好良かったんじゃない? 胸張ってもいいんじゃない? ねえ? って誰に話しかけてんだ?


それで夢のように何もかもが払拭されることはない、のだとは相変わらず思うのだけど、曰く言い難い何かを共有できた(させてもらえた)とは言えるかもしれない。そう思いたい。1日目と2日目、それぞれに意味があったし、これから先も意味を見つけ続けるのだと思う。大体、そもそもはそんな風に勝手に思いを被せることで始まってるんだしな。
ともかく、こんなライブをやってのけてくれたメンバーに、ただただ感謝したいのでした。だって、ねえ。もしあのまま順調に活動してたら(そして活動が終わっていたら)、今日のこんな機会は訪れなかったはずなのだし。そう思うと、何もかもが良くできているのかもしれない。本当に。あとは、自分が斜に構え始める前の貴重な一瞬を取り戻したような、そんな貴重な二夜となりました。
それにしても『AS TEARS GO BY』まで聴けるなんて。あれが、今まで止まっていて、これから先も動かないだなんて。いや、……頑張っていかないとアカンなぁ。沈潜。