10年あるいは20年、

僕らの音楽』を見ていたらば見覚えのある人が画面に映っていた。え、ホント?
そういえば風の噂でそんな活動のことは聞いたことがあるし、ということはそのシチュエーションは別におかしくはないんだし。とはいえ、抜き打ちで見かけるとやはり驚く。かつ、スタイルが全く変わっていないという事実に感心してしまう。なるほど、何年経っても楽器を弾いている姿なんていうのはそうそう変化するものじゃないんだなぁ、って当たり前か?
……本当のことを言うと、その後大活躍なのだというのはたびたび耳にはしていたのだけど、私にとってその人の記憶というのはほぼアマチュア時代で止まっていて、その時私はといえばお気楽な学生稼業。エキサイティングなことも穴があったら入りたいような恥ずかしいことも取り混ぜて、全ては信じられないようなことが毎日日替わりで起こっていた時代の話。


ところで、ドラマというものをなかなか習慣づけて見られない私でさえも、行く末を固唾を呑んで見守っていた『神はサイコロを振らない』。それこそHDRの不調のせいで結構な回数をロスしてしまったのだけど、なんとか故障を克服し、最終回はしっかりフォローしました。結末はストーリーの中で十分知らされていたにもかかわらず、それでもどこかで何か逆転劇があるのじゃないかと期待してしまった自分はだいぶセンチな人間だと思うけど、「あらかじめ決まっていること」は揺るがないのだ、というのは、少ないながら経験で共感する。だからこそ最後の瞬間にはキューッときて、呼吸が整うまでにしばらく時間を要しました。


しかし、このドラマを見ていた人は、もれなくきっとそれぞれの「この10年」というものを振り返ったりしたと思うのだけど、つくづく「10年」て短いよね。どこで何をしていたかも明確に覚えていて、懐かしむにはリアル過ぎる。あ、だからこそあのストーリーは苦しいのか。30年振りに戻ってきたのじゃ荒唐無稽過ぎるんだものね。ドラマを見るたびに「10年なんて昨日だよ、昨日」と思っていたのだけど、そういうことか(とりあえず、足りていないところは原作でもってフォローしようっと)。
10年前。自分の前から何かが消えたというよりは、自分自身が何もかもの前から消え失せた、という感じなのだけど、振り返れば一瞬のようなこの時間でも、「じゅうねん」といえば免罪符になるのかしら。考えれば考えるほど出口は遠くなる。