確かめる術はないけれど、きっとそうだったんだと思ってもいい気がする春の夜。

半年前、住み慣れた職場を離れることにした私の送別会をしてもらった店に、半年前と同じメンバーで集合した。ただし、今日の主役はそのメンバーの中にはいない。主役は、いつも素敵な笑顔で美味しいワインと料理をサーブしてくれていた、お店のお姉さんだ。彼女が店を離れるにあたり、その「卒業」を惜しみ、祝い、見送る、というのが本日の趣旨。


2週間ほど前、「そういうわけで、29日は宴だから空けておいてね」と言われた時は、正直ちょっと返事に窮した。だってその日は「3月29日」で、今さら誰に説明することも難しいけれど、私にとってはちょっと特別な日なのだ。仕事を休んで花を手向けに行くことはできないまでも、ひとり静かに彼の歌声に浸っていたい、と思うような1日。誰かと一緒に騒いだりしたいような夜ではないはずなのだ。


けれど、結局行くことにした。何故かと言えば、それは去年「炎のロカビリーナイト」を体験したから。冗談、ではない。事実私は、これだけの歳月経ったあの夏、2005年における「現在の」ヒルビリーバップスを目の当たりに出来たら、なんだか本当に上手に、すんなりと、詰まっていた砂時計が流れ出すような、そんな感覚を味わうことができたのだ。自分が立ち止まっていたように感じていた間も、時間はちゃんと流れていて、その時間の上を間違いなく自分も滑っていて、別に置いて行かれていたわけではないんだ、大丈夫なんだ、と思えた夜。だからこそ、気負わず、深刻にならず、この3月を私はやっつけることができていた。もう、「29日」をそっとしておく理由を見つける方が、難しかった。


宴もたけなわながら、終電の時間が近づいていた。お姉さんに花束を渡し、必ずまた再会を誓い、メンバーとも次回の計画を軽く交わして、それぞれが帰路に散る。誰かは高速に乗って、誰かはタクシーを捕まえて、そして私は、通勤定期を改札に差し込んで、一番最後の乗り継ぎを縫い合わせるために、地下鉄の階段を下っていった。


原宿からJRに乗り換えるのがいいかな、と思って、階段近くに停車する車両に乗った。空いた電車の座席は魅力的だったけれど、ひと駅だけだからと立っていた。車両がホームに滑り込み、少しずつ速度が緩んでいくときに、ドアの目的地の向こう側に、知っている人が立っているのに気が付いた。けれど、私はその時「29日だから」、『二人の為の甘いバラード』を頭の中で歌っているのに忙しかったのだ。だから、その人が自分の知り合いの中の「誰」であるかにフォーカスするまで、少し時間が必要だった。


「(剛くん……!?)」


その人は、私が降りたドアから、空いた車両に乗り込んでいった。どうしよう、声をかけようか、そして確かめようか。だけど今日は3月29日。二人の為の甘いバラード。どうしよう。すれ違い。でもいいか。だって今日は3月29日---と逡巡している間も、私はホームを突っ切り、足は迷わず階段を踏みしめていた。下の方で扉の閉まる音がする。今ダッシュすればまだ間に合うのかしら。ダッシュしたけど、間に合わなかったわ。


剛くん、というのは、言わずもがなヒルビリーバップスのバンマスである川上剛さんのことである。けれど、小一時間電車に揺られた今は、あれが本当に剛くんだったかどうかはちょっとわからない。だって16年経ってるんだものさ。だけど、そのすれ違った人は、去年のライブでビックリした、あの「痩せちゃった!」剛くんだったんだよなあ。もちろん髪もリーゼント。ダックテールではなかったと思うけど。


しかし、どちらにしても、そんな真夜中ちょうどに見知らぬ人間から「つよしさん!!」と声をかけられたところで、ご本人にしてもそうでなくてもビックリしちゃうだろうし、3月29日だからこそ声をかけたかったような、かけられなかったような気もする。ただ、そこまでビックリしちゃうような出来事があったというのは、やっぱり今日がこの日だったから、という気がしなくもない。確かめる術は何もないのだけれど、「そうなのかもしれない」という程度には、偶然を信じてもいいのじゃないかな、なんて、本当にそうだったのかなぁ。


(関係ないけれど、お昼にパンを買いに出たとき、米倉涼子さんにもすれ違ったのだけど、これは単なる偶然でした。すすすすんごく綺麗でビックリしました……。)