そんなつもりはなかった。

うひょ。ついに1月はひと言もなにも書かずに去っていったのであった。というのは、ひとえにもう、シャカイジンあるいはカイシャジンとしてのもろもろがジェットコースターのように乱高下していたからで、ここひと月ばかりのわたしは時に義憤に駆られ、時に無力感にさいなまれ、ついには無気力に陥るという……つまり、もんのすごく疲弊してしまっていたのだ。ホントだよ、疲れちゃったんだよオレはもう(というポーズ)。


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一度萎えたやる気を再び奮い立たせるのはなかなか難しい。確かに追求したいテーマはある。それを結実させるために尽力したいと思っている。今でも。けれど、正直「思惑」が多すぎてうんざりするのだ。コンパクトな組織だからね、仕方ないとしえばそうかもしれない。だとしても面倒が過ぎる。ならば、あれやこれや厄介なものは全て思い切り遠ざけて、なるべく「巻き込まれない」「巻き込ませない」環境を作り上げることも、アリなのかもしれない。どっちにしても「しかない」と思い詰めすぎないこと。でないと、失ったときの心の穴が大きすぎて、こちらが傷つきかねないものね(という自分的覚え書き)。


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いろいろなことに振り回されて、いろんなことをなおざりにしたこのひと月だった。
それだけに、生まれた気づきがいくつもある。本当、「これしかない」または「こうあれかし」という想いが、転じて自分自身をがんじがらめに苦しめてしまうとは皮肉なことだった。実際、熱く強い想い(思い入れ、ともいう)が必要な作業ではある。あるにもかかわらず、どこかを徹底的に、決定的に、冷やしておかねばこちらが辛くなるという現状。要するに、「自分以外のことで自分を一杯にしてしまわない」という至極当たり前な結論なのだけれど、あろうことか、こんな簡単なことを忘れてしまっていたのだったな、ここしばらくのわたしは(とかいいながらまだまだ半信半疑)。


しかし、ここに到達するには、間違いなく「彼女」の助けがあったからなのだということを、忘れずに書いておこう。


急に飛び込んできた報せだった。急すぎて、わたしにその報せを受け取る資格があるのだろうかとさえ思ったことだけれど、届いたということはそういうことなのだと思って、会いに行くことにしたのだった。久しぶりだったね。まさかと思ったでしょう。違う意味で、わたしも「まさか」と思ったよ。どうしたの、一体。あの、丘の上の濃密な3年間を終えたあとはもう長いこと、あなたに対しても皆に対しても、なかなか素直になれないでいるわたしだというのに、こんなときだけ会いにいってもよかったのかな。もしかしたら、それさえも見越して、呼んでくれたのかな。なんて、それはわたしの都合良い解釈だけれど、それにしても、あまりにもあなたらしくて、あなたらしくない、そう、あなたらしいかもしれないけれど、やはりあなたらしくはないことだったね。あなたも、そう思っているかな。それとも今はもう、どちらでもないのかな。もしかしたら、あなた自身もまだびっくりしてしまっているかもしれないものね。


人は炎に触れることはできない。だから、誰がどんなに掌をかざしたとしても、その灯を神の息吹きから守ることはできないのだろうと、今は思っている。だから、自分を責めることも彼女自身を責めることもきっとお門違いなのだと、そう思っている。彼女にしても、決して諦めたわけではなかったのだと思いたい。彼女自身でさえ、その掌で守りきれなかったのじゃないか。もしかしたら、炎が激しかったからこそ余計に、触れあぐねてしまったのかもしれない、そんな風にさえ思えてくる。本当のところは彼女が持っていってしまった以上、もう誰にもわからないけれども。


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日々思うことは変化して、これからもまたずっと変わり続けていくと思うけれど、ただ、自分が目の前の針の穴しか見えていなかったことを、急激に思い知らされたのだった。
「忘れてはいけないことはたくさんある」。そうなのだ。くだらないことで自分を使い果たすことのないように。今はただひたすら、そんなことを考えている。