夢見る頃を過ぎてもそれは続いている。

伯父が急逝して、3月は慌ただしく始まった。久しぶりの母の実家から戻った翌日には、1月に見送った友人のための母校での御ミサが控えていて、喪服を脱ぐ暇さえなかった。起きているような眠っているような地に足の着かない感覚の日が続いて、ふと気づいたらもう桜が咲いていた。


雨の降らない3月は、昔のことをうんと遠くに感じる3月だ。けれど、新しいアルバムのリリースのタイミングだとかにちょっと耳の後ろが引っ張られる感じがして、やっぱり今日は亀戸に行ってきた。あれ、29日に行くのって意外と初めてのような気がする。そんなことはないかな。いやでも、ビデオを見せていただいたのは今日が初めてだから、案外そうかもしれない。忘れちゃったな。
促されるままにお邪魔して、モニタの前の末席に着くと、パワステのライブが終わるところだった。マイウェイを歌い終わったところ。それから、宮城くんがMCでPVを紹介する番組が続く。あああああああ、とせり上がる何かがあるのだけれど、うまくそれがカタチにならない。こうしていても、言葉に落ちない。


卵が先か鶏が先かはわからないけれど、例えばこうして日々のなにがしかを、ちょっとでも書き留めることを続けていれば、もう少しその、フワフワした「感触」のような気持ちの部分を、まだしも「近い」ことばにまとめる筋肉のようなものが鍛えられるのかもしれない。あるいは、それを放棄してしまっているからこそ、今、どうにも弛緩してしまっている(地に足が着かない)のかもしれない。だいたいこうしていても、明日にはばっさり削除したくなるような上面しかなぞれていないのだけど、こればっかりはリハビリするしかないのだろうな。


ちょっと放棄しすぎだったか。


反省。