深層心理

仕事でジャムっている例の彼女をそそのかして、仕事帰りに占いへ。実は今年に入ってから、なぜだか3ヶ月ほどごとに、定点的に通っているのだ。いや、今日行ったところは過去2回とは別のところだから、「通って」というのは正しくないか? でもまあ、これまでお金を払って占って貰う、という体験は、かれこれ10年以上も前、当時の同居人(♀)と共にフラリと寄った渋谷の手相見くらいなので、ともかく凄い頻度ではある。
そもそもはジャムの彼女(もう略してジャムでいいか)が他の友人と行ってきたのが最初で「当たる!!」と鼻息荒く帰ってきたものだから、なんとなくファンタジーを感じてしまったのだけれど、実際はどうなのかな。すべからく2分の1の確率、といってしまえばそうだけれど、それでも、次々めくられるカードの示唆するところを上手く繋いで、受け手のストーリーに落としてくれる洞察力、というのは見ていてなかなか楽しい。
実際当たっているか、という話でいけば、私の場合は大体、頭が沸騰している状態で突入し、誰か(占いの人)にその沸騰を吐き出してしまうことのほうが先決だったりするので、「そうでもあり、そうでもなし」の場合が多い。「符合するんだな、これが!」と思っても、多分自分の方が合わせに行ってるんだろうなぁー。といいつつ、やっぱり「ああ、あの人のこと!」なんて膝ポンする瞬間が、あるにはあるんだな。


ジャム曰く、過去2回のところより、今日のところの方が「黙って座ればピタリと当たる」系なのだそうだ。ジャムがそう言う(何故かジャムは毎回誰よりも先に占い師を開拓してくる)のでだいぶ期待して行ったけれど、私は今日は、結構情報開示してから入ったような。とはいえ、今両目の上にあるたんこぶ(失礼)の存在分析は言い得て妙だった。そうすると、やっぱり「当たる」っていうことなのかしら(だとしたら、私このグダグダをさっぱり卒業して新しいこと始めた方がいいのかしら)。


自分自身は、さほど合理的な人間でもないけれど、数十分で結構な金額を取る「占い」というのは、どちらかといえば無駄遣いに属する、と考えてしまう。けれど、ストレスフルになっているときに、ちょっと交通整理してもらうにはいいのかもしれない。いやいや、もっと純粋に楽しむのなら、なるべく感情が泡立っていない、フラットな時に行った方が絶対いいと思うけれど(前回がそうだった)。要するに、どんなことでも素直に聞けるよい子のココロが必要ってことなのかなー。でも、そんなココロを持っていたら、そもそも頭なんか沸騰しないもんね。『憤怒の河』なんて渡らないもんね(笑)。