想像以上に

慌ただしい毎日が続いていて、なかなか腰を据えてテキストを書くことができない。
要するに心の余裕がちょっと足りないのかな。こういうのは余暇活動だから、


と書きかけてみて、自分の状況も随分変わったものだな、とふと思う。
ある時期までは、テキストを殴り書くのは自分の均衡を保つ大切な術でもあったろうに、今やそれ無しでなんとか幅10センチの平均台の上を渡り歩いているというのか。
それでも、不意に強く降る3月の雨に心揺らされるのは変わらなくて、今年もこの季節が来たのだなあと思うとともに、自分の中の「変わらない部分」をまた確かめることになる。要するに、たいしてそんな「上手くやっている」わけじゃないという感じ。


ところで、最近ちょっと手伝いをしていたユニットが解散を決めてしまった。驚き。久しぶりにカメラを手に取ってピンスポットを追いかけるようになったのに、夢は苦い味を残して終わってしまったのだ。残念、という言葉で括っていいのかはまだちょっと分からないけれど、決して悪くはない流れの中にいただけに、ちょっと心中は複雑です。
そして、これに伴い自分(と多分彼女)の中で「原点に戻る」機運がにわかに浮上。一度は自分の回りのシャッターを全て下ろして機能を全部止めたというのに、またこんな季節が巡ってくるんだから不思議だな。でも、自分を試すように敢えて書いてみるけれど、やっぱり自分以外、自分以上に、「あの」役回りができる人間もいないんじゃないかと秘かに思ってはいる。ただ、それが再び苦しみの種となってしまわないように、今度こそは自分の足でしっかりと立たなければいけない、とは思うけれど。


つまるところ、全ての始まりは、ある3月の雨の日だったと思う。あの雨の日に出来事が起きなければ、レールのポイントは切り替わらなかったのだろう、と、今でも(今だから)思う。
残念ながら、今年は当日に花を手向けることはできない様子だけれど、今年はよりいっそう始まりからここまでのストーリーを強く考えたりするような気がするな。目の前にあるものは掴まなければ二度と手に入らない。例えそれが流れ落ちる砂時計の砂であっても---。


まあ、久しぶりに長いこと話しましょう。だって、この自分の方がそう思うのだもの。
ひょっとしてとんでもない扉を開けることになりそうな気がして恐ろしいほどだけれども、楽しみでたまらないのです。