LIVING ON A PRAYER

本日も三種の神器に遭遇。瓢箪から駒(なんて言っちゃイカン)で発見したわけだけれど、予感は確信に変わりました。いやーいいと思う。BABY何か順序が逆ですが今、コンパクトディスク買ってきたので、あとでよく聴いてみようと思います。
……ていうか、こういうことも昔は不得手だったんだけど(今も根は変わっていないと思うんだけど)、出来るようになるんだなぁー。不思議不思議。でもこれ、きっと天使の応援がついてるからだと思います。こりゃ強くなれなきゃ嘘だってね。というわけでケロリと(いや、ちょっとスレスレのギリで)やってみました。


それにしても、昨日の雲の上に連れて行ってもらうような感覚といい、今日の、今そこで横たわっているあたたかい生き物のお腹に触れるような感覚といい、みぞおちの奥がぐっとせり上がるような瞬間て、結構あるもんなんだ。つくづく視界が狭かったな、というか、今さら広くありようもなかったのだけれど、ちょっと自分の中でスイッチ切り替えると、こんなにいろんな景色が見えるものなんだという新発見。
それと同時に、今は身動きの取れないひとのことを、やはり惜しいな、勿体ないな、と思う。その人だけではない。きっと祝福を受けていただろうに階段から下りてしまった人、その階段の手すりすら乗り越えてしまった人、などなど。しかし物事には必要な時間とそのタイミングというのがあるわけで。それが必ずしも短いスパンでスパパパパンと決まるわけではないものなので、遠回りに見えてもやはりこれが一番大切な道なのではないかなとも思ったり


……と書きながら「答え」が出ていることに気が付いた。
昨日想像したのとはちょっと違う形だったけど、これははっきり出ましたよ。驚いたことに。
では、答えに対してどう行動するか。でも、それすら何か意思を感じる気がする。しまったな、困ったな。でもその啓示を見失わないようにしなければならないな。どうしよう、何か根本的に読み間違えてたら(焦)



自分は何者か、と訊かれたら


「神様なんかじゃねぇよ」
「たいした力もねぇよ」


と答えるしかない。


「だけど俺(ら)がやるしかねぇよ」
「だって誰にもできやしねぇよ」


「そんでずっと自由でいてぇな」
「そんでみんな幸せがいいな」


と、どうしても思うのだとしたら、どうすればいいんだろう。


……がんばるしかない。
宿題しなほら、と今日も天使は囁いてるからね。