わたしはねことくらしている

仕事に絡めて、麻子せんせいとそのアシスタントとねこの話の映画の試写へ。今回は〆切というミッションは発生せず、種を蒔くための鑑賞です。これが何かにつながりますように、と祈りを込めて深々と椅子に腰掛けた。


しかして作品はとてもデリケートな空気に包まれており、デリケートすぎるがゆえに触れがたくもなっていたような。その件については見終わったあとに随分意見を交わし合ったけれども、要するに、実際ねこと暮らしている身にとっては、ストーリーの本質以外に目がいってしまうところがあって、このあたりは何とも難しいものです、ほんとうに。


それでも、帰った早々わが家のねこを抱き上げて、ちょっと迷惑そうにのけぞるひとを尻目にぎゅうぎゅうとハグしてしまったのは、少なからず映画に影響を受けたからだろうか。ねこは人の3倍の速度で生きている。確かにそうだ。彼女はわたしの小さないもうととしてやってきたのに、いつの間にか姉のような顔をしてわたしを見つめるようになった。いつか疲れ果てて抜け殻のようになっていたときも、彼女はいつもわたしを見つめてていた。ねこには「声をださないニャオ」という必殺技(?)がある、と教えてくれたのはポール・ギャリコの『猫語の教科書』だったけれども、彼女はいつも心得ていて、いろんな場面で声を出さずに助けてくれた。もちろん、声を出して食事を要求することもそれ以上にあるのだけれど。


ねこは愛しいな。彼女に(そして、今は★になったイタチのお兄ちゃんたちに)、こんなに助けられるとは思いもしなかったんだ。その個人的すぎる感情は千差万別に個人的すぎて、お互いに分かち合うことはきっと難しいのだろうといつも思う。だから、麻子せんせいのねこの愛し方も、それはそれでひとつなんだろうな、と思うことにする。
そういえば、お話の舞台は吉祥寺でした。これもなんだか甘酸っぱい感傷に一役買ったのかも。今度久しぶりに、歩きに行こうかな。