すべては 心の 決めたままに

あれから3年…といっても氣志團のことではなく、舞台のこと。今年はトリエンナーレの開催年で、7月末の本番までそれはそれはたくさん稽古が入り、並行してオシゴトやらKKのことやらで殆ど身動きが取れなくなっていた。

「忙しい」とは「こころをなくすこと」とはよく言うけれど、本当に物理的に時間がないと、お楽しみの要素はどんどん優先順位が下がってしまう。4月の段階で浪人を決め込んでいた某水産高校も引き続き入学手続きを経ないままだったので、すっかり出遅れてしまったわたしは、当然この夏のイベントも、参戦自体「無理」だと思っていた。

けれど、なんだかんだ舞台を終えてホッとひと息ついたら、何だか猛烈に気になって気になってしまって、結局直前に滑り込みで手配して、大きな観覧車のふもとにあるライブハウスへ駆け込むことにした。
どうしても、確かめたいことが、あったから。


春に武道館で見た氣志團は、変わらず、というか、きっと少しは変わったのだろうけれど、見ているわたしたちにはゆめ気づかせないように、むちゃくちゃなストライドで3年分の遅れを取り戻すべく走ってきてくれていた。ただ、そんな一生懸命な姿に細めた目が一瞬にして覚める瞬間が、あのステージの最後にあった(Zeppの最後にもあった)。



私には愛する歌があるから 信じたこの道を 私は行くだけ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・!!


なんでかな、なんでこんなことをしでかすかな。
でもきっと理由なんてなくて、強いて言うならそれは氣志團がパンクロックのバンドであるからで、言葉だって日本人なら日本語の方がいいんであって、他意はない。ないはず。

だけど。

おかげさまで、もうそんなに後ろを向いたまま前進するようなことはなくなってきたかな、なんて思った矢先に、また思い切り肩を掴まれて東の方向へぐいっと向けられたような気持ちになったのは確か


・・・・・と、今日、買ってきたDVDをようやく開封して、改めてあのエンドロールを目の当たりにして、また思い出してしまったのだった。

忘れてはいけないことはたくさんある。
その通りだ。