受け取るという作業

精神年齢はと問えば十五歳と即答するような人物とアクシデンタルに知り合ってみて、当然ながら自分の方は一体いくつだろうかと考える。ここ最近はハタチの頃の気分に近かった---ということはつまり、年齢差というものは、理性があろうとなかろうと、結局同じストライドを保つものなのかもしれない。
もちろん実際はお互いいい大人です。ただ侮れないのは、先方の「じゅうご」が時々シャレに見えないことくらい(まさか)。
そんなわけで何かとペースが乱れている昨今ですが、こんな時は不思議と本を読む気になります。きっと物語に集中している間は楽になれるからだな。


本当は本屋には「じぶんのなまえ」を探しに行こうと思ったのだ。
けれど、見つからなかったので、代わりにちょっと前に話題になった女性作家の小説を手に取ってみた。39歳と19歳が恋愛する話…って、そこに反応してる自分の浅薄さにちょっと呆れてしまうわけだけど、幸いなことにストーリーはとりたてて面白くもなく、自分の精神にも全く何の役に立つことはなかった(と、格好をつけてみる)。
いいな、と思ったのは唯一


「そこにある形に、オレの心が食い込むのだ」

「あのゆがみ具合がたまらない。忘れられない」


という、ここ最近の謎に一石を投じるフレーズくらいだろうか。いや、それを見つけられたのだからもう十分に価値かな。あとは、残念ながらわたしとはリズムが合わないようだった。ところどころユニークを感じはしたけれど、どうにも感じるちりちりとしたストレスが気になって仕方ないので、早々に読み切ってこれはお終い。


そして、レジにはもう1冊文庫を持ち込んでいた。
普段小説をあまり読まないうえに、特定の書き手を気に入る、ということが殆どないわたしにとって、恐らく唯一の「出てれば読む」人の短編だ。何が好きって、やはりこの人のリズム感なんだろうな。初めてのときは、ちょっと上滑るような言葉に抵抗を感じたりもしたものだけれど、もう慣れた。つまるところ、読んでいて小気味いいのが好きなのだと思う。スタッカートが効いているというか、言葉によってお話が分断されないところが好みなんだろうな(あくまで文章的な話)。もちろん、着想や展開にもいつも舌を巻いています。


しかし今回は、内容とともに「解説」にも惹かれて購入したのだった。作家との組み合わせが意外、というのはさておき、その解説の人の言葉を読みたい、とちょうど思っていたところだったのでタイミングがよかった。しかも、その解説が本編を離れたとしても本当によくて、またしても勝手ながら「受け取って」しまうのだった。


もしかしたら、この解説のおかげで神通力が取り戻せるかもしれない


二つのことを一度に出来ない自分の不器用さを十分自覚しているからこそ、今の事態を歯がゆく諦めているわけだけれど、なんかヒントが来た感じがします(手軽!)。
でも、実際のところ何でも手がかりになるのだと思う。簡単なことほど忘れてる、ということをもう一度思い出さなくては。

名前というもの

検索エンジンで自分の名前を確かめてみるほどナルシストなわけではない、と長らく思ってきたのだけれど、つい今さっき、なぜか魔が差して検索してみた……というか、仕事で扱っているリストの中に僅差で同姓同名(異字同音)の方を発見したので、ちょっと興味が湧いたのだ。


そうしてみたら、自分の名前(戸籍に登録されてる、いわゆる本名)が、比較的最近の物語の登場人物に使われていることが判明した。へえ〜、奇遇。
わたしの名前(主に名字。下の名前は極めてスタンダード)は、例えば学生時代、全校に2人といない程度には少数派だったけれども、詩的に美しいかと言われるとそうでもなく、物語向きとは思えない。果たしてこれ、音はどうなんでしょうね(他にも読み方があるのです)……と思ったら、どうやら読みも同じらしい。んま。凄いね。誰がどうやって思いついたのか、それともわたしの名前を知っている人が思い出して使ったのか(自意識過剰)……と思ってクレジットを確かめたら、物語を作った人が本当に昔の知り合いだった。あらま、びっくり。それじゃこれ、ホントにわたしの名前が元ネタなんじゃん(笑)。


その昔職場で一緒だった彼は、当時まだ大学生でアルバイトくんだった。なかなか人当たりのいい少年だったけれど、人当たりが良すぎてちょっと距離感がつかめなかったので、プライベートまで突っ込んで仲良くしたかというとそうでもない(と思う)。ただ、チームとしてはとても雰囲気が良くて、わたしも働きやすかったし、彼も(バイトにしては)相当居心地がよかったようだ。それでかしらん、随分後までメールを貰ったり(結婚式にも呼ばれたっけな)したけれど、その頃にはチームも解散していたし、長らく思い出すこともなかったのだが、とんだところで消息を知ってしまった。いやぁ、活躍してるんですね。チームのみなさんも元気だろうか。
それにしても、その頃の付き合いで名前を拾うなら、わたしよりもチームのリーダーによく懐いていたんだから、そっちの方がふさわしいような、とも思うのだけど、それは他の作品に登場している(あるいはさせる)のかな。
ちなみに、同じ作品中の他の登場人物の名前に心当たりはありませんでした。


ちょうど、仕事の上で「名前」をどうしようかと思う局面がちらほらあったものだから、なんだか不思議な感じ。しかし、どっちかというとこの物語(の人物)の検索結果より先に、己が反映されるようになるべきなんじゃないかと思ったりするわけなので、無断で使いおったヤツにはテメコノヤロと思わなくもないのだけれど(笑)、ある日誰かがわたしを探してgoogle先生に質問したら、同じように「へ〜奇遇」と思うのだろうから、そんな妄想の余地をくれた彼にはやっぱり感謝しておくべきなような気がします。
とりあえず、その同じ名前の人がどんな役どころなのか、物語に当たってみるかな。びっくりです。

徒然。

ちょっと放心状態が続いていました。まだまだ続く可能性なんだけど、ほんの少しの正気を保つために完全放置を回避。大丈夫かオレ。大丈夫だろオレ。でも実は結構参ってます(と思う)。

  • 「愛さえあれば過去なんてどうでもいい」って本当は嘘だと思うんだけど、時々本当にどうでもいいような気がしてる、ってところがもう病理なんだと思ったり。
  • しかもそのおかげで今年前半に発揮し続けた壮大な神通力がピタリと止まっています。イカンいかん遺憾。選択権はいつでも自分にあるんだということを思い知ったばかりなのにもう手を離そうとしてる。もしくは実際もう離してるとか。
  • それは「横から持ってった人」(カレ)が偉いのか、「持ってかれてもいいやと思った人」(オレ)が愚かなのか。多分どっちも正解です。だって世の中に不正解なんてひとつもないから。

とはいえ、大切なことはいつでも自分の心の奥底から響いてくる。だから、実はさほど心配してない。今はこのまま突っ走っても、必要ならば軌道修正は必ず起こる。それが力技を必要とするようなことになるとしたら全くもって本意ではないのだけれど---つまり、このまま恙なく進めばそれはそれでひとつの何だ、そういう結末だと思うけれども---いかんせんどうなんだろうと冷静になることが、まだ3日に2回くらいあるんだな。その頻度がどんどん減るのか、あるいはその逆か。日々ジェットコースターに乗ってます。おもろい。ここ何年かで自分の人生が一番面白い局面に突入してる気がしてます。でもって、このまま乗っていってもいいかなあと思ったり、ジョーシキという言葉を思い出そうと頑張ったり。どっちにしても、人生の終わりに「あー面白かった」と言えればいいや、と思うようになったのは大きな変化かも。


とりあえず、神通力が復活するまで(できますように)野生の勘を磨こう。
つまり、危険だけは回避するということ。これもまた「できますように」。祈る。

めまぐるしい日々

行動するということはなにがしかの結果が伴うということなのだ、ということを


つくづくづくづくづくづくづくづく


実感させられている今日この頃。そして神通力がなんか違う方向へ伸びている。
どういうことなんだこれは。どうしたらいいんだこれは。このままではとことんアホになってしまう。いやホント、全く一体どうしたらいいんだよ?????


…などという、意外と切実なる悩みをかかえつつ、昨日無事、夏の催事が終了しました。やるからにはうまく行ってほしかったけれど、正直こんなに盛況に終われるとは思いもせず、偶然の出会いに大大大感謝しつつこれを勇気に次回へと続けたいと思います。ビバ音楽。本当に素敵な夜でした。


幸せな音楽に包まれていると、つくづく、「明るいところに居なければ」と実感させられるのだ。音楽には多分魔法があるな(当たり前か)。けれどアホ(でいること)にも魔法、というか魔力があって、何というかこの、1日おきに冷静さとそうでないものが交代して訪れる。まだまだ双方の見極めは付かないけれど、とりあえず今はできることを粛々とこなしつつ、明日に向かって頑張るしかない。


また催事(パーティー)ができますように。
オレがんばる。

打つ手について考える

家に帰ったらツーハンが届いていた。その箱を持って階段まで行って


「おーい箱開けるよー」


と声をかけつつ五指で軽くフタのところを鳴らしてみたらば、それまで2階でぷーすか寝ていたはずのねこのお嬢が、タラちゃんみたいな足音を立てて降りてきた。こんにゃろ、なかなかやるじゃん(笑)


さて。
親しんでいくことは悪くはないけれど、それが目的なわけじゃないから今日も新しい扉をノックしよう、と勇んで出かけてみたものの、残念ながら空振りでした。そんな日もある、か。仕方ないか。今日はそもそも空振りの日だったのかもしれないし。
というわけで、そのままターミナル駅で本屋に寄って、ちょっと気になるトピックについて1冊仕入れて大人しく帰宅。
その間も、ずっと「打つ手」について考えていた。


ちょっと油断したのだった。無限ではないけれど、まだ時間があると思ったのだった。ここのところのペースの方がちょっと異常だったのだから、凹む必要は(恐らく)ないのだけれど、描いたとおりにことが進まないのは、やっぱりちょっとストレスだった。
かといって、打つ手がなくなったわけじゃない。今回の一番の特筆事項は、この「起き上がり」のはやさとも言えるんだろう。とにかく、あっという間にリルートして、「次、どうするか」をはじき出している。


このままの勢いやスピードがずっと維持されるとも思わないけれど、種火が消えることもまた、ないような気がする。迷ったときに聞くべきは内なる声だ。その声がクリアに聞こえるように、準備だけは怠らないこと。


「ね。」


お嬢は特に興味がない、という感じで、さっきからずっと顔を洗っている。
ありがとね。

あさってに向かって走る

振り絞った小さな勇気が知らない世界への扉を開ける。ここのところその連続だ。居心地がいいのか悪いのか、これが適切なのかそうでないのかはまるでわからないけれど、ただゴールテープを切った途端、次のピストルがぱん!と鳴るから、息つく間もなく走り続ける。


なんで走り出したのかと言われると、これがまた全然理由がわからない……というのは嘘で、多分ある種の「欲」なんだと思う。


「だよね」


と言われたけれど、不思議と反論する気にはまったくならなかった。多分そうなんだ、と自分でも気づいているから。そして、「欲」だったからと認めたところで、否定もされなかった。そんなものなのかもしれない。
これが何になるのか皆目検討はつかないけれど、何かにはなる。その予感だけはどうしてもぬぐい去れないから、やっぱり明日に…いや、あさっての方へ向かってこれからも走る。楽しめばいいんだよ、と教えてもらったから、その通り楽しんで走る。
いつかゴールで出会えても、出会えなくても。

「オレらがスターだ!」

おっと、なんか自分の中が飽和寸前です。表だっては全然平気なんだけど(だろうけど)、なんか緊張してきています。どこかで解放しないとヤバイね。てなわけでメモ。

  • good girlを伴ってmorihirotakaワンマン@アストロホール。自分史上史上初めて、整理番号1番と2番というのを手に入れたのですが(どんだけやる気。しかもチケットは前売りで完売ですと!)、余裕で開演5分前に入場してしまいました。あは。新曲『やっぱり猫にお熱なんです』(←メイビー)が可愛かった。そういえばわたしも先週きゃりこに行ったばかり。やっぱりねこは愛しいな。
  • そうか、そういう意味では吉祥寺に侵入してるんだな、一応。
  • 三歩進んで二歩下がる、のは本当に気持ちだけの問題。何を勝手にテンション上げ下げしてるのだろう、大事な事は何なのだろう、そのことを常に見つめ直していかないと、絶対振り落とされるし道に迷う。なので明日も新しい扉をノックします。やるべきことはまだまだあるぞう。
  • 週に一度のお楽しみ『ROOKIES』。今週も安仁屋くんの台詞にベタぼれです。「オレらがスターだ!」って、なぜこう、こんなピンポイントにツボを突く台詞を……!(笑) それにしても、「つっぱり(不良)の学ランの背中」ってのがこんなに格好良く見えるっていうのは、世代としての原体験のせいなのか刷り込みなのか。敢えて追求はしないけど。
  • ところで今週は川藤先生がいよいよ柳沢慎吾に見えてきました(アカンて)。
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